2008年5月24日 (土)

京都「知恩院」

知恩院は、法然上人が布教の拠点としたところに建てられた浄土宗の総本山です。

Img_2987a
元和7年(1621)に建立された高さ24mの三門。

Img_2988bImg_2990a

三門をくぐると「男坂」と呼ばれる急勾配の石段を上がっていきます。

Img_3010a
法然上人の像が安置されている御影堂(本堂)。

Img_2997aImg_2996a

御影堂には知恩院の七不思議の一つ、「忘れ傘」があります。
分かりづらいですが、軒裏を見上げると、傘を確認できます。
傘は水と関係があるので、火災から守る意味があると考えられています。

Img_3007bImg_3003a

左)御影堂の東にある階段を上ります。
右)上り切ると山門に到着します。

Img_3002aImg_3000a

左)山門をくぐった右手には、法然上人の遺骨をお祀りした御廟があります。
右)同じ敷地にある勢至堂。現在の御影堂が建立されるまでは、こちらが本堂でした。

※ここ知恩院の参拝を最後に私は京都を離れ、今回の高野山、大阪、京都を巡る旅行を終えました。

|

2008年5月21日 (水)

京都「八坂神社」

東山の祇園にある八坂神社は、斉明天皇2年(656)に創建されたと伝えられています。

Img_2977a
八坂神社の西楼門。
この門をくぐって右へ進むと、本殿前に辿り着きます。

Img_2978aImg_2982a

左)承応3年(1654)に再建された本殿。元々別棟だった本殿と拝殿を一つの屋根で覆った「祇園造」と呼ばれる建築様式をとっています。
右)本殿前にある提灯に取り囲まれた舞殿。

Img_2984aImg_2985a

左)本殿の東側にある美御前社(うつくしごぜんしゃ)。
美を象徴する三女神が祀られています。
右)鳥居の右に湧き出る「美容水」(飲料水ではありません)。2、3滴、肌につけると、美しくなるといわれています。そのためか、女性の参拝者が多いようです。

|

2008年5月17日 (土)

京都「東寺」

東寺(教王護国寺)は、延暦15年(796)に創建されたと伝えられています。弘仁14年(823)、弘法大師空海に下賜されて、真言密教の根本道場となりました。

Toji_2a_2Toji_1a_2
東寺の拝観券とパンフレット。

Img_2939aImg_2951a

東寺といえば五重塔。日本に現存する古塔では、最も高く、東寺のパンフレットによると、高さは「55m」。しかし、「54.8m」や「57m」という説もあります。
創建後に4回焼失し、現在の塔は寛永21年(1644)に建てられました。

Img_2920aImg_2924a

九条通りに面している南大門。
現在の南大門は、慶長6年(1601)に建立された三十三間堂の西門を明治28年(1895)に現在の地へ移築したものです。

Img_2932aImg_2934a

左)空海の思想である羯磨曼荼羅(かつままんだら~立体的に表現された曼荼羅)を大日如来を始めとする21体の仏像で構成されている講堂。
右)薬師三尊像と十二神将像が安置されている金堂。

Img_2975a
境内の北側にある食堂。昭和5年に焼失、昭和9年に再建されました。

|

2008年5月14日 (水)

京都「三十三間堂」

三十三間堂(蓮華王院)は、長寛2年(1164)、後白河上皇が平清盛に命じて創建されました。しかし、建長元年(1249)に火災で消失してしまい、現在の建物は、文永3年(1266)に後嵯峨天皇により再建されたものです。

Sanju_aSanju_2a

三十三間堂のパンフレットと拝観券。

本堂に入ると、千手観音像(十一面千手千眼観世音)や風神と雷神像、二十八部衆像が整然と並んでおり、説明書きを読みながら、ゆっくりと見て回りました。
仏像の裏側にあたる廊下には、三十三間堂についてのパネルや仏像などが展示されていました。

Img_2901aImg_2907a

本堂内陣の柱間が33ある三十三間堂。長さ120m、奥行き22mあります。

Img_2893aImg_2904a

左)本堂の東側にある夜泣泉。湧き出す水の音がすすり泣きに似ているところから「夜泣き泉」と言われ、幼児の夜泣き封じにご利益があるとのことです。
右)庭園の八重桜が綺麗でした。

Img_2909b
通し矢にちなむ弓道大会は、本堂の西庭で行われます。

|

2008年5月10日 (土)

京都「方広寺」

翌日は京都に移動して、幾つかの社寺を回りました。市内の交通手段は、市バスを利用しました。

Autobus_1c
市バスの一日乗車券(500円)。均一区間内は220円なので、3回乗ると元が取れます。

市バスに乗車し、「博物館三十三間堂前」で下車、京都国立博物館の横道を北に向かって歩くと、数分で豊臣秀吉の霊を祀っている豊国神社に到着します。

Img_2885a
慶長3年(1598)創建、明治13年に再建された豊国神社。

その豊国神社の北隣りには、方広寺があります。

Img_2878a
「国家安康の鐘」で知られる方広寺。

豊臣秀吉は天正14年(1586)、奈良の東大寺を模倣した大仏殿をここに建立しましたが、その後地震で倒壊したり火災で焼失したりして、現在では鐘だけが残っています。

Img_2873aImg_2865a

左)豊臣家を滅亡に導いた鐘。
この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文に徳川家康は、「家康を分断し、豊臣を君として繁栄を願うものだ」として言いがかりを付けました。これをきっかけに大阪冬の陣が起こりました。
右)文字は分かりやすく白い線で囲まれています。子供の頃に読んだ学習漫画が思い出されます。
それにしても小さな文字です。これに難癖を付けるとは・・・。

Img_2868aImg_2875a

有料で鐘楼内の見学(解説付き)もできます。

Img_2870a
天井に描かれた天女もお見逃しなく。

|

2008年5月 7日 (水)

大阪「くいだおれ」

難波駅に到着後、今年(平成20年)7月に閉店する道頓堀の「大阪名物くいだおれ」に立ち寄りました。

Img_2834a_2Img_2844a_2

左)昭和24年に開店した「大阪名物くいだおれ」。
右)道頓堀に輝くくいだおれのネオン。

Img_2831aImg_2827a

左)今や全国区のくいだおれ人形。平成6年に「くいだおれ太郎」と命名されました。
右)吹き出しには「本年7月8日に閉店します」との台詞が。

Img_2830aImg_2841d

眉毛と目と口が動くので、いろいろな表情を見ることができます。

Img_2842a_2
店の前は、写真を撮る人で混雑していました。
でも、ほとんどの人が店内に入らず立ち去っていきました。(私もその一人だったんですけど・・・)

|

2008年5月 4日 (日)

高野山「奥の院前~難波」

帰路は、奥の院前からバスを利用するため、一の橋への参道ではなく、公園墓地を歩いて行きました。
こちらの公園墓地には、他の墓地ではまず見ることができないかなり個性的なお墓が存在します。
例えば、ロケットの形をした企業の墓碑や「しろあり やすらかにねむれ」と刻まれた社団法人の墓石など、今までの既成概念を覆すお墓をよく見かけました。

Img_2806a
奥の院前バス停近くの入口。

Img_2810aImg_2811a

入口の左側にあった案内図。

Img_2808aImg_2817a

左)高野山駅前方面行きのバス停。ここからバスに乗り、高野山駅へ向かいます。
右)霞かかった高野山駅に到着。

Img_2818aImg_2819a

左)レトロな感じがする高野山駅構内。でも改札は自動改札でした。
右)臨時便のケーブルカーで出発。

Img_2823aImg_2824a

左)ケーブルカーの車内。
右)極楽橋駅に到着。ケーブルカーはかなり急勾配で、傾斜角度は最大で29.22度、最小で15.19度あります。

この後、橋本行きの列車に乗車、さらに乗り換えて、難波まで戻りました。

|

2008年5月 2日 (金)

高野山「奥の院」

奥の院は、弘法大師信仰の中心霊域で、壇上伽藍と共に高野山の二大聖地です。

Img_2796a
奥の院の入口の一の橋。

一の橋から御廟まで約2kmの参道を歩きます。
参道には、20万基を超えるといわれる墓石や記念碑、慰霊碑、そして樹齢何百年という杉が立ち並びます。

Img_2804a_2
長い参道を歩くと御廟橋に辿り着きます。

Img_2803a
御廟橋の右側にある水向地蔵。

Img_2800a
この御廟橋から先は撮影禁止です。さらに歩くと、「録音禁止」の立て札も見られます。

橋を渡ってまっすぐ進むと、石段上に燈籠堂があります。
燈籠堂には、祈親(きしん)上人が献じた祈親燈、白河法皇が献じた白河燈など、1000年近く燃え続ける燈籠を初め、多くの人の燈籠が献上されています。

燈籠堂から真裏に回ると、承和2年(835)3月21日、62歳の時に入定した弘法大師の御廟に出ます。
弘法大師は今も生きており、人々の幸福を願っていると信じられています。そのため、僧侶が朝昼2回の食事をお供えしています。

ところで、私が訪れたこの日は、曇り空で時折雨がぱらつき、体がかなり冷えました。燈籠堂の外にあった温度計を見たら、気温は6度を指していました。

|

2008年4月30日 (水)

高野山「金剛峯寺」

金剛峯寺(こんごうぶじ)という名称は、弘法大師により名付けられたものと伝えられ、かつては高野山一山の総称でした。
明治2年に金剛峯寺と改称される前は青巖寺(せいがんじ)と呼ばれてました。
現在は、高野山真言宗の総本山として全ての宗務を司っています。

Img_2781aImg_2793a

左)金剛峯寺の正門。
右)正門をくぐって右手に見える(写真だと左にある)建造物は、青巖寺時代の鐘楼。

Img_2792aImg_2795b

左)金剛峯寺の大主殿。
右)屋根に置かれているのは、防火用の天水桶。

Img_2794aImg_2782a

左)拝観の入口。
中へ入ると、豪華な襖絵や文禄4年(1595)に豊臣秀次が自害した柳の間、大勢の僧侶の食事を賄ってきた台所などが見られます。
右)石庭を眺めながら廊下を歩きます。

Img_2784aImg_2849a_2

左)新別殿の169畳ある大広間で、お茶を頂きました。
右)御煎餅と金剛峰寺のパンフレット。

Img_2785a
石庭としては日本最大級(2340平方メートル)の蟠龍庭(ばんりゅうてい)。
龍を表す石は四国の花崗岩、雲海を表す砂は京都のものが使用されています。

|

2008年4月28日 (月)

高野山「壇上伽藍」

壇上伽藍は、高野山上で最初に伽藍の建立を手掛けられたところです。現在でも様々なお堂を拝観することができます。

Img_2780a
高野山の総本堂として重要な法要が営まれる金堂。弘法大師によって弘仁10年(819)に創建されました。
現在のお堂は、昭和7年に再建されました。

Img_2777aImg_2773a

左)真言密教の象徴として建立された高さ48.5mの根本大塔(こんぽんだいとう)。
右)弘法大師が住まいとされていた御影堂(みえどう)。

Img_2754aImg_2751a

左)伽藍で一番古い建物の不動堂。建久9年(1198)建立と伝えられています。
右)伽藍で一番小さいお堂の三昧堂。久安6年(1150)頃に歌人西行がここに訪れて修行しました。
延長6年(928)頃から建っていましたが、現在のお堂は嘉永元年(1848)に再建されました。

Img_2769aImg_2749a

伽藍の東西に建つ西塔(左)と東塔(右)。

|

より以前の記事一覧